育児投資家によるモンテッソーリ教育〜序章〜

はじめに

目の前のお子さんを見てみて下さい。はたまたご自身が小さかった頃を思い出して下さい。コップのストローを何回も何回も抜き差ししたり、側溝の穴に小石を落とし続けたり、重たい買い物袋を持とうとしたり、道路の縁石の上を渡ってみたり…覚えはないですか?

他人からしたら意味もなさそうで、一見すると見逃してしまうような行動ですが、実はそれには生きるための意味ある行動だということをモンテッソーリ教育を学ぶ中で知りました。

私たちのブログのメインテーマは資産形成ですが、子どもの教育も重要なテーマです。夫婦がお互いに共感できる教育の軸を探し、その中で自分達の考え方に合っていると思えたのが、モンテッソーリ教育でした。

私たちの教育に対する考え方

私は素直で思いやりのある優しい子に育って欲しいと願い、夫は自分で考え、行動する力を身につけて欲しいと願っています。

元々、私たち夫婦は価値観が異なります。子供の接し方に対してもそれは現れ、衝突することはしばしば。それでは子供に混乱をきたし、お互いのためにもよくないことは分かっていました。ではどうしたら良いのか、色々な育児書を読みました。

「心を育てる」と「思考を鍛える」という一見方向が違うようですが、生きるために必要なこれらの力「生きる力」を育てるのがモンテッソーリ教育だったのです。私たち夫婦の意見の違いはまるっとモンテッソーリ教育におさめられたのでした。

多様化する社会で逞しく生きていって欲しい、より良い善を自分で選べるようになって欲しいという思いからモンテッソーリ教育の取り組みを始めました。

モンテッソーリ教育とは

マリア・モンテッソーリというイタリア最初の女医さん

女性が医師になるのがまだ普通ではなかった時代、100年以上前にイタリアで初めてお医者さんになったのがマリア・モンテッソーリです。精神科で知的発達遅滞児や貧困層の子供達の教育担当者として働き、研究をする中でモンテッソーリ教育が生み出されました。

私は医師が知的発達遅滞児や貧困層の子供を通して生みだした科学的教育法というところにてもに惹かれました。近年、発達障害、特に子供の頃に見落とされ大人になって生きにくい理由が分かる大人の発達障害を耳にすることが増えてきました。自分の子供はどうなのか、成長していく中でしか分かりませんが、モンテッソーリ教育ではどちらの場合でも関係なく対応出来る、受け入れられるというのが大きな理由です。

また弱者のために施された教育から生まれましたが、彼女が見出したのは全ての子供の中にある普遍的なもの「生命」です。特別な能力を引き出すことではなく、ありのままの子供の姿、自己教育力を信じてあくまでも援助するというところも惹かれたところでした。

モンテッソーリ教育の考え方

モンテッソーリ教育と聞くとどうしても偉人の名前が浮かび、英才教育や早期幼児教育と捉えられ、習い事の一つとイメージされる方も多いのではないかと思います。しかし、モンテッソーリ教育について学ぶと、そうではないということが分かってきます。

  • 生物学や大脳生理学、医学的な根拠に基づいて子供を観察し子供の発達を研究した科学的教育法
  • 子供の自己教育力を信じ人格形成のお手伝いをするのが大人の役割
  • 平和を愛する、調和のとれた人格を育てることが目的
モンテッソーリ教育が精神論や宗教論、伝統論ではなく、子供を研究し科学的根拠に基づいた教育法であることは、教育の軸とする上で安心感があります。それだけに裏付けにある教育理論を正しく理解することが重要です。

モンテッソーリ教育では、子ども主体で大人がすべきことが決まります。大人は子どもを観察することで、その時に何をすべきかを子どもから教えられ、その時々の事実に合わせて、子どもに対して支援を行います。

その事実に対して大人が取る行動は、次の3つのいずれかが伴っている必要があります。

  • 事実に対して筋道が立てられている行動か(論理性)
  • 誰が見ても納得できる考えかたか(客観性)
  • 事実に基づいて立証できるか(実証性)

私たちがモンテッソーリ教育に共感した3つのこと

大人がすべきことは子どもから教えて貰う

大人は子どもを観察することから始まり、子どもが何に興味があるのか、何を習得しようとしているのかの事実を把握します。その事実から大人は何をすべきかを教えて貰い、子どもが習得できるように環境の準備と提示(具体的な方法を見せること)を行います。

教育は大人が子どもに対して行うものとばかり思っていた私たちにとって、全ては子ども主体で始まるという考えかたは、目から鱗の考えかたでした。

この考えかたに出会わなければ、色々な場面で躓き、「子供のため」と何の根拠もなく自分の経験だけを元に「親主体」で子供と携わっていたと思います。

子どもの人生は子ども自身のもの

子どもは自分自身を育てていく自己教育力を秘めていて、大人がコントロールしたり、レールを敷く必要は無いということ。子どもが自ら選択し、考え、判断していくことが、「より良い善」を自分が選べるような子どもに育てていくのに重要だということ。

これが大事だから子どもに伝えようとか、将来役立つから子どもにやらせようとか、そういった大人目線での考え方は一切必要無く、あくまでも子ども目線で考え、子どもの事実から目を逸らさないこと。

モンテッソーリ教育を学んでいなければ、恐らくそうしていただろうと思うことが散りばめられていて、私たち夫婦も考え方を変えていく必要性を感じました。

教えながら教えなさい 訂正するのではなく

最初聞いたときは何を言っているか分かりませんでしたが、意味を調べていく中で、その意味が分かりました。

子どもが失敗したときに訂正をすると、子どもの自己訂正の機会が失われます。大人は訂正するのではなく、繰り返し正しいやり方をみせる。これにより子どもは失敗を恐れなくなり、仮に失敗しても自分自身で対処できる自己訂正の力を身につけることができるということです。

これは子どもだけでなく、夫婦間でも言えることだと思います。お互いの失敗に対して相手を責めるだけでは何も良くなりません。やってみて失敗してみて自ら考え改善していく。忙しい毎日に追われ、そういった余裕も無くなり相手を指摘することも多いですが、夫婦間でもこの考え方は取り入れていきたいと思います。

おわりに

モンテッソーリ教育に出会い子供を見る目が変わりました。事実に基づく子育てのヒントも沢山あります。モンテッソーリ教育を勉強していくことで、子供の集中している姿や、出来たときに達成感を味わったときの喜びの顔がそれを知る前よりも何倍も神々しく見えるようになりました。

子どもがなぜ泣いているのか?なぜ怒っているのか?なぜ笑っているのか?その子どもの事情が分かるだけで、子育てがイライラしなくなります。子どもにも事情があります。モンテッソーリ教育は私たちにそのことを教えてくれました。

私たちは自分達の考え方にあった教育を探してモンテッソーリ教育を知り、その考え方に惹かれました。そしてモンテッソーリ教育を学ぶにつれて奥の深さに驚きます。

同時にモンテッソーリ教育は、子どもだけでなく大人も一緒に成長できる教育だと確信しています。それだけに親も学ばなければならないことが多くありますが、その過程を楽しみながら夫婦で取り組んでいけたらと考えています。

参考にした本

最近出た漫画でモンテッソーリを理解する本です。モンテッソーリの理論と実践の概要について非常によく纏まっていて、分かりやすかったです。また筆者のモンテッソーリ教育に対する熱い想いが伝わる作品です。最初の一冊にはおススメできる名書でした。

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